FC2ブログ

辛い時に聴く音楽(>_<)


辛い時には音楽を聴く気にもならないかもしれませんが・・・聴くならば、どの作曲家でしょうか?

私の場合は・・・ブルックナー、モーツァルト、ベートーヴェン、マーラーですね。
どれか一つにしろと言われたら、ブルックナーかモーツァルトで迷いますが、ブルックナーにします。

実際、苦しかった時にそうだったのです。

苦しい時に、ブラームスやチャイコフスキーはあまり聴かないです。でも、暗いマーラーは聴いてしまうのです~これって危険かも。


気障っぽいですが、自己分析してみると・・・


ブルックナーには「慈愛」と「救い」を、

モーツァルトには「愉悦」と「慟哭の美学」を

ベートーヴェンには「憧憬」と「意志の力」を

マーラーには「退廃美」と「嘆きの共有」を

主に求めているのではないかと思います。


一方、苦しみから抜け出しそうな時に、よく聴くのがシベリウスですね。

シベリウスには「大自然の息吹」と「安息」を求めているのでしょう。


何を聴くか・・・人それぞれなのでしょうけど、ある程度の傾向はありそうな気がします。

皆さんは如何ですか?




※写真は昭和音楽大学の新校舎・コンサートホール(新百合ヶ丘)です。平成19年4月開校予定。
 杮落としが楽しみです(^^♪

スポンサーサイト



名指揮者 カール・シューリヒト


当然ながら・・・指揮者自身は、音を出しません。

指揮者は、作曲者と聴衆の中間にあって、楽曲を解釈し、オケを統率し、音楽を再現します。「再現芸術をオケという一大楽器をもって成し遂げる演奏家」と言ってもいいでしょう。

譜面通りの演奏とは何でしょうか?
譜面には最低限の約束事しか書いてありません。指揮者が心の眼で譜面の行間を読み取り、楽曲に潜む心に共感・感動し、音のイメージとして再構成することがなければ、実につまらない演奏になります。機械にでも、演奏は出来ますから・・・。つまり、楽曲の解釈と再現力(オケを纏める力)がなければいけないのです。

指揮者って、実に大変な仕事です。

同じ曲でも、指揮者によって全く異なる曲に聴こえることはよくあります。指揮者によって、解釈の仕方が随分と違う証左ですね。指揮者の心・感性も百人百様、受け止めるものが違えば、解釈も異なるという訳です。

作曲家が何を言いたかったか、身を挺して再現して見せてくれる・・・献身的な音楽家こそ、本物の指揮者ではないでしょうか?

私が、その第1に挙げたいのが・・・カール・シューリヒトです。

以下、ドレル・ハンドマン (Dorel Handman)氏の言葉を引用しておきます。
・・・
張りつめた静寂の中に、最初の音がおこる。
そうして、カール・シューリヒトの芸術が、自由に、天の啓示に従うかのように繰り広げられてゆくのであった。

このような演奏会は、はじめての経験だった。彼の中で、ある一つの存在が、他の一つあるいはいくつかの存在に転化したのではなくて何であろう。しかもそれだけでは満ち足りず、楽員はもとより、その場に居合わせたすべての人を、その変身に参加させ、彼とまったく同様の体験をさせずにはおかない。確かに魔法は行なわれたのだ。
もしそんなものがあるとするなら白い魔法とでもいおうか。何よりもまず私の心を打ったのは、音によって表現されている、すばらしく透徹した精神であった。それはどんな偽善をも許さない芸術であった。あらゆる問題点に最も明快な解答が与えられており、非常に複雑な楽譜が明瞭なものになっていた。

楽譜を絶え間なく推し進めてゆく、たぐい希な彼のエネルギー―音楽の勢いを撓めることはないが、そのテンポに緩急をつけてゆくあのフルトヴェングラーの力とは、何とちがうことか。様々な本質を、互いに補い合い、たかめ合う方向へもってゆくことが、精神に許された貴重な特権の一つなのである。

ルバートは殆ど使わず、ひとつとして不要なリタルダンドはなく、<スタイル偏重>による犠牲など全くない:明解な運びと論理的な構成。しかも、ブルックナーの交響曲第7番の冒頭、第1主題の第2小節に現れる短いラレンタンドは、3度の間隔をもって、丁度良い長さだけ、溢れるばかりの優しさを表現し、リンツ交響曲の第2楽章の主旋律は、純粋と感覚の織りなす光の綾の中にただよっている。そして、ブラームスの交響曲第4番は、暗く傷ましいメランコリーに貫かれている。

巧まずして偉大さを表現し、情熱を省くのではなく抑制し、常に作品の魂を追ってやまない。

音楽は素晴らしい!

優れた音楽は、人の心を豊かにしてくれます。
ジャンルを問わず。

人の考え方や生き方まで、変える力があると思います。
心の病気の治療にも、音楽は使われていますね。

・(バッハの音楽は)天地創造の直前に行われた神自身との対話のようだ。(ゲーテ)

・死とは、モーツァルトが聴けなくなることである。(アルバート・アインシュタイン)

・何よりもすばらしいのは、音楽が伝えることのできる感情の種類は無限だということである。言葉で表現できない深い感情までも、音楽は明確に示してくれる。(レナード・バーンスタイン)

・残念なことに、音楽からくみとりうる力に匹敵するものは文学にはなにもありません。(ロマン・ロラン)

昔、お世話になった、とある病院の院長が「人生とは魂の高揚だ」と仰っていました。抽象的な表現ですが、最近、なるほどと思う様になりました。

音楽=魂の高揚

素晴らしい演奏とは、何でしょう?

素晴らしい演奏=人を感動させる演奏とは、どんなものかについて考えてみました。独断と偏見ですので、おかしいところや反対のご意見がありましたら仰って下さい。

音楽は再現芸術なので、文学とか絵画とかとは状況が異なります。
つまり、享受する私達と作曲家の間に演奏家(解釈者)が存在するのです。

作曲家が楽曲に籠めた想い・・・楽譜には表情記号もありますが、それが全てではないです。そこそこの技術の演奏家が表情記号に従って、それらしく演奏しても恐らくあまり私達は感動しないでしょう。作曲家の心象世界の追体験が音楽だと思うのですが、その為には演奏家の感情移入が必要不可欠です。寧ろ、楽譜は最低限の約束事だと思います。

簡単に言えば、演奏家が作曲家の気持ちを分かっていないと、まともな演奏=人を感動させる演奏は出来ないということです。

とある文豪も「優れた書物を読んで得られるものの半分は、その書物を読んだ人が作り出すものだ」と言ったらしいですが、音楽でも当て嵌まると思います。

作曲家の譜面を読む、行間を読む、理解する・・・そうした過程を経て、作曲家の感性と演奏家の感性が響き合い、そして聴く者の感性を刺激するのです。

自作自演が最高ではないかと言われるかもしれませんが、不思議にそうでもないのです。作曲家=優れた演奏家(解釈者)とは限らないからでしょう。それよりも、優れた演奏家の感性が作曲家の作品を一層高め、再現することがあるからでしょう。

アハ体験

何気なく聴いた音楽で、ハッとした思い出があります。
「アハ」体験。

数十年前・・・
クラシック音楽・・・高尚な感じはするけど、悦に入っるだけで好きな人が適当にしておけばいいんじゃない?というイメージ。

数十年前から→数年経った時・・・
ある音楽の、ある演奏を聴いて、ハッとしたのです。

いずれにしても・・・いい演奏に巡り会う為には、懲りずに沢山聴くこと。
BGMでも、アハ体験可。寧ろBGMにこそ、アハ体験の宝庫あり!

プロフィール

Kapell

Author:Kapell
音楽は心のオアシス
オーディオは音楽の為に

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ