FC2ブログ

カウンターポイントの入院


半年ほど前、カウンターポイントSA-220(パワーアンプ/BTL接続で2台使用中)の内、1台が突然と寡黙になり、単純なヒューズ切れではなかったので修理に出しました。

ついでなので、片方はメンテナンスとして2台共、ダイナミック・オーディオ新宿店に送付。

ところで、ダイナミック・オーディオはメンテナンス関係もサービスが行き届いていて、大変、助かります。輸入元(修理部門)との橋渡しを巧くしてくれるのです。

その寡黙の原因は、何と電源トランス!でした。巻線が溶断しているとのこと。溶断って、ただごとではないですよね。そんなに手荒に扱った覚えはないのですが・・・。余程、凄まじいラッシュカレントが流れるのでしょう。それならブリッジとか安定化電源の基盤とかの方が、先にヤラれると思うのですがね。

よく分かりまへん。

トランス交換の修理代、十数万円!ガックシ(ーー;)。

因みにカウンターポイント社は倒産していますが、社長兼エンジニアのマイケル・エリオット氏は現在アリアというアンプメーカーを立ち上げていて、旧カウンターポイントのメンテナンス用部品もある程度持っているとのことでした。

そして、今回のトラブルです。前回、お元気だった方が駄目になりました(>_<)。
症状は寡黙です・・・嫌な予感。

助けて・・・。

スポンサーサイト



ホロヴィッツのピアノについて


ホロヴィッツの演奏には「恐るべき緊張」があると言われます。「デフォルメ(歪曲)の大家」と揶揄する向きもありますが・・・。

彼はどんな作曲家の作品であれ、徹底して自己の解釈を加え、その作品を自己に同化させてしまいます。作曲もこなす彼は、作曲家の眼でも作品を見ることが出来ます。そして恰も自分の作品であるかのように、それらの作品を自己の内部に包摂するのです。

ホロヴィッツによって再現された芸術は、例えばスカルラッティは宝石を散りばめたような小宇宙を形成し、ショパンは光と影が織り成すロマンティシズムの極みを聴かせます。
リストは激しく壮大な主題表現の中に高貴ささえ漂わせ、シューマンは分裂質の夢と現実の移ろいに憂いを滴らせています。

彼の演奏が単なる主観的なデフォルメであれば独り良がりに終わり、このように多様な美感を生み出すことは到底出来ません。これはホロヴィッツが、実は非常に客観的な演奏家でもあることの何よりの証左と言えます。

いずれの演奏も極めて高いテンションの中で、作曲家の心象世界があまりにダイレクトに表出されるが故に、最早その音楽がピアノから発せられたものであることすら、聴き手は忘れ去ってしまうのです。

あり得ないことが、現実に起きてしまう衝撃たるや・・・!

ホロヴィッツは音楽の再創造=再現芸術の現場で、その瞬間、瞬間に音楽とギリギリのところで対峙している様に感じます。鋭敏な感性が、今、生まれたかのように音楽を再創造していきます。

ホロヴィッツのピアニズムは、指先の技術だけではありません。ペダルに注目して下さい。例えば、ON TVでのショパン・バラード1番、第1主題の再現部から終結部に入る直前の決然たる想いを、彼は絶妙にペダルを操り余韻を断ち切って表現しているのです。これは他のピアニストからは決して聞くことが出来ない類のものです。ショパン・アルバムでのエチュードOp.10-12にしても、実に鮮やかなペダルの妙技が現れます。

彼はピアノにオーケストラの表現力を求めており、事実、その離れ技をやってのけてしまいます。彼はピアノの指揮者であると同時に楽団員です。自らによってコントロールされた自分がそこに居るのです。

ホロヴィッツの魔力の世界、即ち恐るべき緊張の中で、セルフ・コントロールされた繊細且つ大胆な感情が音化されていく、その場に居合わせること自体が新鮮で貴重な感動体験なのです。

昔日カラヤンのベートーヴェン「英雄」


カラヤン指揮/ベルリン・フィル(VIBRATO VLL63)

カラヤンとは・・・

R.シュトラウスは、マーラーとワーグナーの折中商品(彼には音楽イメージのパレットがあった)?

ブルックナーも・・・じっくり聴けない。

モーツァルトは・・・メロディ全部繋がってる~どうしてこうなるの?

しかし、シベリウスは・・・何故か大変に素晴らしい。

正直、よく分からん?巧言令色先生なの?


とあるCDショップでゲットした、昔日の演奏を聴いてみる。

・・・1973年11月のベートーヴェン交響曲第3番「英雄」~日本公演?(不詳)

!!!ウッソー!!!

こんなにスリリングで熱い「英雄」を聴けるとは・・・畏れ入りました。

ぬぁんと驚愕の名演!

カラヤン嫌いの方、是非、お聴き下さい。先入観は、時に害毒かも・・・。
勿論、ステレオで音質も良いです。ライブの熱気が生々しい!

(ただ、ジャケットのセンスは×~エロイカ「英雄」ならぬ、エロ(Eros)イカではないか・・・^_^;)

マーラー・交響曲第2番「復活」


バルビローリ指揮/シュトットガルト放送響(ORIGINALS SH830-831)

のっけから胸座を掴まえられ・・・。
「おいおい、まだ始まったばかりだよ!まさか、既にそこまでやる?」という疑問を発する暇もなく・・・頭の中が雲丹(ウニ)状態になる・・・マーラー」

それがバルビローリのマーラー。

熱き低弦の訴え・蠢き、そしてホールの壁に張り付いてなかなか落ちてこない金管の咆哮・・・マーラーとバルビローリ卿の美学に、埋没している自分がいる。

ア・ブ・ナ・イ。

終楽章、待ってましたの終結部~合唱もオケも火の玉状態!バルビローリ節、最高潮に達す!
テヌートして欲しい音は見事にテヌート、もう合唱は叫びに近い。

マラ2は異演盤を多く持っていますが、これには参った・・・です。

シューリヒト/フランス国立が輝かしい名演で一番好みですが、モノ録音で且つ音があまり良くないのです。ステレオでは・・・このバルビローリ、クーベリック、ノイマン、クレンペラー、ホルヴァート。

こんなに多くの素晴らしい演奏。

何という幸せ!

ベートーヴェン・交響曲第5番


クレンペラー指揮/ウィーン・フィル(Grammophon 435 327-2)

所謂「運命」です。

クレンペラー・・・19世紀的だとか言う方もお出でですが、そういう時代感は関係なくこの第5には圧倒的なカタルシスを覚えます。

ひとことで言うと「鋼鉄の様な意志の力」です。苦難と闘い、それに打ち勝っていく意思の力が、鋼鉄の支柱となって目の前に縦横無尽に建ち現れて来るのです。これこそ、ベートーヴェンがこの曲に求めた「不撓不屈」の精神ではないでしょうか?

クレンペラーにはバイエルン放送響を振った躍動的な名演(Disques Refrain DR910002-2)もありますので、両方、聴いてみて頂ければと思います。個人的に・・・フィルハーモニア盤は、若干、癖が強過ぎて気になる様に思います。

ブルックナー・交響曲第5番


ヴァント指揮/ベルリン・フィル(RCA BVCC-1510)

仰ぎ見るような高揚感~ヴァントの辛口さが見事に効いた名演。

当ベルリン・フィル盤は、ヴァントの緻密な計算が極めて充実した音響として具現した、隙が殆ど無い演奏。技術的には世界一レベルのベルリン・フィルが徹底的な練習を積んだ・・・天下のベルリン・フィルをしてマエストロ:ヴァントに「もっと練習しましょう」と言わしめたくらい、オケとしての思い入れも半端じゃない、非常に完成度の高いものです。

随所にヴァントの鋭い眼光が感じられ、その統率力とオケの反応の俊敏さ・巧さには舌を巻きます。
恐ろしいほどのエネルギーが籠められているのに、力んだ感じがしないのです・・・只管、外界へと広がっていく壮大なドラマの創造。

ヴァントとベルリン・フィルの再現芸術。
宇野功芳氏も言われているように「初めて聴くような部分が頻出する」のです。

ブルックナーの交響曲中、5番は難解な部類と言われています。しかし、このヴァント/ベルリン盤は、この曲を通してブルックナーが伝えたかったメッセージを、格調高く強かに教えてくれている様です・・・。

他の演奏を聴かれている方も、是非、この演奏・CDを聴いてみて下さい。

最近、リリースされたミュンヘン盤も素晴らしいですが、個人的には・・・詳しくは別投稿をご参照下さい。

CDプレーヤーのデジタル出力について




拙宅では、アキュフェーズ・DP-75のデジタル・アウトからモッドスクワッド・Wonder LinkⅠというケーブルを介してワディア・DIGILINK40へ入れ、その光出力をAT&Tの光ファイバーでワディア・X-32に繋いでいます。

こうすることで、音が視覚を刺激する様な映像的リアルさを持つのです。立体的な音像、上下・左右・前後に広がる音場感が得られます。

しかし、最初はこれらの機器を繋いでも、全く動かなかったのです。

何故か?

アキュフェーズ・DP-75のデジタル・アウトには直流が入っていた為、ワディア・DIGILINK40が信号を受付出来ず、音が出なかったのです。

アキュフェーズやワディアの輸入元アクシスに問い合わせて、機器一式を送り、調査の結果、上記が判明しました。

【対策】
ワディア・DIGILINK40のデジタル入力部分(基板上)にコンデンサー(スチロールコンデンサー~純正品)を噛ませて、アキュフェーズ側から入ってくる直流成分をカット。これで見事、問題解決に至りました。(^^♪

アキュフェーズの技術担当者曰く「これはDP-75の故障や不良ではなく、デジタル信号リンク仕様の違いによる相性の問題」とのこと。ワディアにも、その為の純正カップリング・コンデンサーがあったのだから、一応、想定内の事象ではあったのでしょう。

しかし、デジタル・アウトの規格って、結構、いい加減なのですね?
一時はどうなることかと思いました・・・。

変わったことをすると、遠回りになることがありますね。
まぁ、音が良ければ全て良しですけど・・・。

Peter Beets &quot;NEW YORK TRIO - PAGE3&quot;


Peter Beets,piano
Reginald Veal,bass
Herlin Riley,drums
(Criss Cross Jazz 1264 CD)

若々しくインスピレーションに溢れたジャズのインタープレイが聴けます。
ジャズ、クラシック共に造詣が深い友人からのお薦め盤。

のっけからショパンのプレリュード第4番のカバー・・・HOW INSENSITIVE~ボサ・ノヴァの定番曲でもあります。早目のテンポでジャジーなボッサ。

う~ん、良いですねー・・・この粋なタッチ、流れ。

その他、オリジナル曲を中心に、DJANGO(J.Lewis)やPASSPORT(Ch.Parker)などが収められており、どれも惹き付けられる魅力があります。このアルバム・・・ジャズにうるさい向きも唸らせるものなんだなぁと納得でした。

ピーター・ビーツ・・・才能・可能性を感じるピアニストです。

音質は多少籠りが感じられますが、ジャズ・ライブの熱気・雰囲気は出ています。

電車の中でお化粧って・・・


電車の中で、超本格的にお化粧される女性。

時々見掛けます。

ご本人の勝手ではありますが・・・何かこう、どうしてなの?と思う程の光景なのです。
整える程度なら、美しい色香が漂います。

しっかし、ゼロから本格的に化粧されているのです。
お手持ちの鏡も、どういう訳か100円ショップのアイテムという共通点が・・・。

100円ショップは好きですよ~私もいろいろとお世話になってます。

そうしていると不思議と、その方の携帯が鳴るのです。片手に携帯カチカチで、また続行。
女性が化けていく過程を見たくなーい・・・でも見えるものなー。

どこで完成するのだろう?・・・すみません、悪趣味(ーー;)。

朝、あと10分早く起きるなり、時間の作り方はあるでしょうに。

フツーの通勤・通学電車で酒を飲んだり、ものを食べたりしている人もいるけれど・・・マナーというか、何か欠けていると思うのです。(リゾート・旅行の列車で酒を嗜むのは別の話ですよ。)

「余計なお世話、お前にだけは言われたくない」って?・・・大変、失礼致しましたm(__)m!

ブルックナー・交響曲第5番


ヴァント指揮/ミュンヘン・フィル(Profil PH06012)

近所のレコード店は売り切れで、タワレコ(ネット)でゲットしました。
ベルリン・フィル盤と比べて、どうなのかが最大の関心事!でした。

ベルリン盤は、ヴァントの緻密な計算が極めて充実した音響として具現した、隙が殆ど無い演奏。
技術的には世界一レベルのベルリン・フィルが徹底的な練習を積んだ・・・天下のベルリン・フィルをしてマエストロ:ヴァントに「もっと練習しましょう」と言わしめたくらい、オケとしての思い入れも半端じゃない、非常に完成度の高いもの・・・。

対するミュンヘン盤は、計算云々というより、誤解されるかもしれませんが・・・「朝比奈 隆」っぽい歩の進め方、オケの鳴らし方をところどころ感じました。また、表現が暖色系・・・ベルリン盤はこれに比べたら寒色系かもしれません。しかし、このミュンヘン盤もヴァントならではの鋭い眼光が随所に走っており、決して生温くはありません。

(おっと、朝比奈 隆を非難しているのではありませんよ。別投稿の朝比奈 隆のブル8をご参照下さい。私は、朝比奈ファンでもあります。)

当ミュンヘン盤・・・気迫や分厚いハーモニーが並大抵ではなく凄い演奏です。ただ、それが終始維持出来ているかというと、そうでもない・・・完成度としては、ベルリン盤に一歩譲るかもしれません。

~ということで、個人的にはベルリン盤を凌ぐものではないように感じましたが・・・両方聴かれた方、如何でしたでしょうか?

ブル9のミュンヘン盤があまりにも凄い(Sardana sacd-105/6)のです~別投稿しておりますので、宜しければご覧下さい~それ故に当ブル5の同オケ・ミュンヘン盤は、演奏のレベルに物足りなさを感じてしまう部分もあるのです。

音質は同時に出たミュンヘン・フィルとの第8よりも鮮明で、コンサート・プレゼンスが豊かです。

録音について

録音がメーカー等の都合で弄くられているものは・・・大抵、駄目ですね。

ミキシング物は良くないことが多いです・・・マイクが妙に楽器に近づけられた光景を見られた方は多いと思います。これは、よくあるマルチ・マイク録音です。しかし、実際のコンサートでひとつひとつの楽器に自分の耳を近付けて聴くなんてことは~あり得ねー!でしょう。つまり、音場感情報は初めからなしの世界なのです。

ミキシング=技術万能と勘違いですかね?
中にはミキシングものであっても、使用マイクの位置・配置や物理的並びに音楽的感度をきちんと認識・配慮して、見事な職人芸をもって感動的に巧く纏めている録音(英DECCAの一部等)もあります。これはこれで、ひとつの芸術です。

問題なのは、そうでないものが世の中に数多く存在するという現実です。

マルチ・マイク即ちミキシング録音の多くは、欺瞞的テクニックでは・・・?沢山のそれらしい録音機材があると、それだけで音がいいと勘違いする心理を突いているのかもしれません。

マルチ・マイク録音は同地点から発せられた直接&間接音が地点の異なる複数のマイクに入り、それをミキシングする結果、タイミングのずれた音響のベクトル情報が複雑に相殺され、金田氏曰くの「半殺しトーン」に成り下がる可能性が高いのです。それは・・・楽器の音は勿論、ホール・トーンまで著しく歪めてしまうのです。

音の到達時間をコントロールした上でミキシングするハイテクもありますが、所詮、今の処は大同小異です。異常な音が記録され、再生される・・・下手すると脳細胞がストレスで破壊されるかも・・・^_^;。

「感度の良いワンポイント・ステレオマイク録音が理想です。」

しかし、マイクの性能・感度が今ひとつなものが多い・・・主にマイク・アンプがシャビーなのです。
それは、何故か?マルチ・マイク録音が跋扈する理由そのものなのですが・・・

林立マイクありの、ミキシング・コンソールありの、そのためのエンジニアありの等々・・・複数の利害関係があるからこそ、そうなってしまうのです。そういったものが、ワンポイントの優秀マイクの利用乃至開発を遠ざけ、その都合で音を、音楽を、破壊しているのです。

実に寂しいですね。

プレヴィンのモーツァルト


モーツァルト・ピアノ協奏曲第24番K.491
アンドレ・プレヴィン指揮&ピアノ/NHK交響楽団(2005.5.8 N響アワー放送)
※写真はウィーン・フィルとの弾き振りのCD(PHILIPS 412524-2)のもの

プレヴィンと言えば、クラシックのみならず、ジャズ、映画音楽までこなすマルチ・アーティストですが、この人のモーツァルトが半端じゃありません。しかも弾き振り。

写真のウィーン・フィルとの弾き振りの演奏(PHILIPS 412524-2)は、それらしい表情を付け過ぎていたかも・・・と思うくらいに、このN響との演奏は自然体なのに遥かに深みを増しているのです。N響アワーの解説者も言っていましたが、プレヴィンは楽団員とアイコンタクトを取っています。そして、音楽の隅々に神経を通わせているのです。

ピアノの表情の付け方が絶妙で、やり過ぎず、やらなさ過ぎないのです。敢えて抑えた音が、微妙なテンポ・ルバートが堪らない・・・。オケのコントロールも流石、様式美を保ちつつ、この曲の持つ悲壮感を十全に表現するという神業に近いことを、まさか・・・やっちゃうとはねー!
プレヴィンのオリジナルになるカデンツァも、万感胸に迫るものがあります・・・作曲も本業ですから。

これだから、音楽は止められません。こういう演奏を成し遂げてしまう人がいる、ということ自体に既に感動します。

これは、是非、お聴き頂きたい名演です。

モーツァルト・ピアノ協奏曲第23番


ヤーノシュ・フュルスト指揮/グルベキアン財団管弦楽団、カール・エンゲル(ピアノ)
(LYLINX LYR CD 081)

旋律の優美さだけに止まらず、モーツァルトの作品の中でも屈指のものと思います。純白のK.488。

しかし、一体、どうしたらこんな曲が書けるのでしょうか?そして、どうやったらまともに演奏出来るのでしょうか?

非常に高度なバランス感覚が必要な気がします。やり過ぎも嫌らしくなって駄目、やらなさ過ぎはただの練習曲となる虞あり・・・。

聞くところでは、マルグリット・ロン(ピアノ)の演奏が素晴らしい模様ですが未聴です。どなたかお聴きになられた方、いらっしゃいますか?

このエンゲルの演奏、やり過ぎず、自在でありながら抑制の効いた美音を並べています。指揮のフュルストも強引ではない、曲をして歌わしめるといった風情に好感を持ちました。

カップリングの24番K.491も、やり過ぎないモーツァルトで・・・地味ながら多くのことを語ります。

この24番については、プレヴィンがN響で弾き振りした演奏がN響アワーで放送されていました。録画してDVD永久保存版にしてありますが、これが本当に素晴らしい演奏です。別途、コメントさせて頂きます。

モーツァルト・交響曲38番「プラハ」


クリヴィヌ指揮/フィルハーモニア管弦楽団(DENON CO-4176)

指揮のエマニュエル・クリヴィヌ(1947年生れ)は、元々ヴァイオリニスト。
16歳でパリ音楽院の首席。1965年、ザルツブルクでのカール・ベームとの出会いが、指揮者としての道を決定付けました。

この演奏、第1楽章の導入部分、第5小節はスコアではピアノの指定ですが、クリヴィヌはピアニッシモで奏させます~陰翳の濃さと馨しさが、ここからを一層期待させます。主部が始まると俄然エンジンが掛かり、もう飛ぶ鳥を落とす勢いで・・・目くるめく瞬間の連続、まるで大空を自在に滑空するかの如くです。

第2楽章も凭れることなく、凛とした様式感が綺麗。第3楽章は、生き生きとした響きそのものの美しさが清涼感を生んでいます。全体に胸が高鳴る密度の高い演奏だと思います。

プラハはワルター/フランス国立、シューリヒト/パリ・オペラ座が有名な演奏ですが、クリヴィヌのこの躍動感に満ちた演奏も素晴らしいものです。

カップリングの36番「リンツ」も、コントロールの効いた好演だと思います。

名指揮者 カール・シューリヒト


当然ながら・・・指揮者自身は、音を出しません。

指揮者は、作曲者と聴衆の中間にあって、楽曲を解釈し、オケを統率し、音楽を再現します。「再現芸術をオケという一大楽器をもって成し遂げる演奏家」と言ってもいいでしょう。

譜面通りの演奏とは何でしょうか?
譜面には最低限の約束事しか書いてありません。指揮者が心の眼で譜面の行間を読み取り、楽曲に潜む心に共感・感動し、音のイメージとして再構成することがなければ、実につまらない演奏になります。機械にでも、演奏は出来ますから・・・。つまり、楽曲の解釈と再現力(オケを纏める力)がなければいけないのです。

指揮者って、実に大変な仕事です。

同じ曲でも、指揮者によって全く異なる曲に聴こえることはよくあります。指揮者によって、解釈の仕方が随分と違う証左ですね。指揮者の心・感性も百人百様、受け止めるものが違えば、解釈も異なるという訳です。

作曲家が何を言いたかったか、身を挺して再現して見せてくれる・・・献身的な音楽家こそ、本物の指揮者ではないでしょうか?

私が、その第1に挙げたいのが・・・カール・シューリヒトです。

以下、ドレル・ハンドマン (Dorel Handman)氏の言葉を引用しておきます。
・・・
張りつめた静寂の中に、最初の音がおこる。
そうして、カール・シューリヒトの芸術が、自由に、天の啓示に従うかのように繰り広げられてゆくのであった。

このような演奏会は、はじめての経験だった。彼の中で、ある一つの存在が、他の一つあるいはいくつかの存在に転化したのではなくて何であろう。しかもそれだけでは満ち足りず、楽員はもとより、その場に居合わせたすべての人を、その変身に参加させ、彼とまったく同様の体験をさせずにはおかない。確かに魔法は行なわれたのだ。
もしそんなものがあるとするなら白い魔法とでもいおうか。何よりもまず私の心を打ったのは、音によって表現されている、すばらしく透徹した精神であった。それはどんな偽善をも許さない芸術であった。あらゆる問題点に最も明快な解答が与えられており、非常に複雑な楽譜が明瞭なものになっていた。

楽譜を絶え間なく推し進めてゆく、たぐい希な彼のエネルギー―音楽の勢いを撓めることはないが、そのテンポに緩急をつけてゆくあのフルトヴェングラーの力とは、何とちがうことか。様々な本質を、互いに補い合い、たかめ合う方向へもってゆくことが、精神に許された貴重な特権の一つなのである。

ルバートは殆ど使わず、ひとつとして不要なリタルダンドはなく、<スタイル偏重>による犠牲など全くない:明解な運びと論理的な構成。しかも、ブルックナーの交響曲第7番の冒頭、第1主題の第2小節に現れる短いラレンタンドは、3度の間隔をもって、丁度良い長さだけ、溢れるばかりの優しさを表現し、リンツ交響曲の第2楽章の主旋律は、純粋と感覚の織りなす光の綾の中にただよっている。そして、ブラームスの交響曲第4番は、暗く傷ましいメランコリーに貫かれている。

巧まずして偉大さを表現し、情熱を省くのではなく抑制し、常に作品の魂を追ってやまない。

ブルックナー・交響曲第8番


ヴァント指揮/ベルリン・フィル(Sardana SACD-100/1)

ヴァントの辛口さが、見事に効いています。
名門ベルリン・フィルを得て技術は言うまでもなく完璧~白いキャンバスにヴァントの筆が冴える!

表情、音色の変化が自在で、ベルリン・フィルがここまできちんとコントロールされているだけでも驚異的。
ハーモニー、旋律の歌わせ方、内声部の隈取り・・・初めて聴くような響きが随所に現れます。

ヴァントの体調も良かったのでしょう。同オケでブル5を振ったCDを彷彿とさせる、生き生きとしたドライブの掛かった演奏です。

ブルックナーが止むに止まれない気持ちで書いたこの譜面を、ヴァントがベルリン・フィルを率いて三次元空間に心に響く音として再現・再構成していく、その瞬間・瞬間が感動的です。

晴れた秋の空に、解き放たれたブルックナー。

誰?網戸の向こうにいるのは・・・


蝉師匠ではないですか・・・

こんな夜遅く、妙なところでお会いしますね。
網戸で、ゆっくり休んでいって下さいな。

皺皺のおなかが、年輪を感じさせます。

地中に7年・・・しかし、地上に出たら僅か7日間の生命。


大空を自由に飛び廻り、大声で歌う・・・生きる喜びに溢れて。

儚くも、力強い、自然の営み。

ブルックナー・交響曲第7番


ヨッフム指揮/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

じっくりとヨッフムの美感で満たされたブルックナー。

学生時代に友人がこの演奏を生で聴いて、甚く感動していたのを覚えています。こうしてCDで発売になって、実に幸いでした。

オケの響きは重厚で、表現も旧き良き時代を思わせるものですが、それだけではない充実した魅力ある演奏です。

カップリングのモーツァルト交響曲第33番も、何気に貫禄の名演だと思います。

オマケに音がとても良いのです。恐らくマイクは2本だけのシンプルな録音かと・・・。それだけにマルチマイク・ミキシングによる相殺効果がなく、音場感情報が豊かです。

演奏的にも、オーディオ的にも、お薦めのCDです。

プーランク・悲しみの聖母


ボード指揮/リヨン国立管弦楽団&合唱団(harmonia mundi HMC 905149)

悲しみの聖母=Stabat Mater(スターバト・マーテル) ・・・悲しみの聖母は十字架の元に立ち給えり・・・

ボードの指揮は奇を衒ったものではなく、この曲の静謐な美しさを大切に表現しているようです。
それにしても、プーランクの書く曲~特に声楽曲~は得も言われぬ極彩色の美に満ちています。

深い深い海の底に居るような感覚・・・一体、これは何なのか?

同CDに収められた他の2曲も、見事な演奏だと思います。

サルヴェ・レジーナ Salve Regina
聖母マリアへの賛歌ですが、郷愁を誘う旋律が印象的です。

黒衣の聖母への連祷 Litanies à la virge noire
闇から立ち昇る仄かな光、深い祷りが籠められています。

ブルックナー・交響曲第9番


シューリヒト指揮/ウィーン・フィル

往年の名演奏です。

何という感情移入なのでしょう!慈愛に満ちた第1楽章・第2主題を聴くだけで涙が・・・。
一生、大切に聴きたい音楽。

シューリヒトの再現芸術は、いつも何かを教えてくれます。

シベリウス・ヴァイオリン協奏曲


カラヤン指揮/ベルリン・フィル、フェラス(ヴァイオリン)

フェラスのヴァイオリン、シベリウスの曲想と波動がピタッと一致して・・・私、思わず唸りました。
また、カラヤンもやる気十分。

カラヤンのシベリウス・・・
エールリンク、ハンニカイネンより頭で考えた感じがしないでもないですが、名門ベルリンフィルを率いて思うがままの表現が、見事なシベリウスの自然を描き出します。
カラヤンの心情吐露でしょうか・・・?

このCDに収められた交響曲第5番も素晴らしい(特に第2楽章)ですが、第7番も孤高ささえ感じさせる立派な演奏だと思います。個人的には、エールリンクと双璧だと思っています。ヤルヴィは、今ひとつグッと来ない・・・。

プーランク・ミサ曲


プーランク作品を描くロバート・ショウの棒は冴え渡っています。
極彩色に輝く声の芸術。旋律美、和声の精妙さ・・・。

絶美の世界。

宗教曲を聴いたことがない人にもお薦めしたい逸品。

(「神田須田町」のペンネームでAmazon.co.jpに投稿したレビューに一部補足しています。)

朝比奈隆のブルックナー・交響曲第8番


シューリヒト/ウィーン、チェリビダッケ/ミュンヘン、クナッパーツブッシュ/ミュンヘン・ウィーン、ヴァント/ベルリン(Sardanaライブ)と名演が目白押しの中、朝比奈の当1994.7.24盤は透徹した意思力が尋常ではなく、それが終始貫徹する驚異的演奏。

朝比奈の同曲演奏の中でも、最も素晴らしいものと思います。N響盤はオケが巧いですが、この大フィル盤の方が深い感銘を受けます。更に晩年の2001.7.23/25の録音がありますが、個人的にはこの1994.7.24盤の方が感動的だと思います。

(「神田須田町」のペンネームでAmazon.co.jpに投稿したレビューに一部補足しています。)

エールリンクのシベリウス・交響曲全集


表現意欲に溢れた、熱い(北欧ですけど)シベリウスがここにあります。
表面を綺麗に磨き上げることはしていません。その肌触りが、また荒涼とした自然を想起させるのです。

シベリウスがお好きな方は、是非、聴いてみて下さい!

ホロヴィッツ/ショパン・アルバム


ホロヴィッツというと、歪曲の大家だなんて揶揄する人もいますが・・・。
この人の手に掛かると、ショパンにしてもリストにしても・・・音楽がダイレクトに訴えかけてきます。
ホロヴィッツと楽曲(作曲家)が一体化して、一つの音楽空間を構成するのです。

このマズルカは、本当に素晴らしいです。ショパンの芸術・只管な想いを、ホロヴィッツが完成された音世界として具現しています。生まれたばかりの新鮮な、そして衝撃的な閃きに満ちた演奏には、ただただ感嘆するばかり。革命のエチュードは、真にそこで「革命」が起きています。

ホロヴィッツは指先だけでなくて、ペダルのコントロールも異常に巧いと思います。

(「神田須田町」のペンネームでAmazon.co.jpに投稿したレビューから、一部引用しています。)

SAEC コーリアン・ポイントベース


これは何かと問われれば・・・コーリアン(白色タイプ)で作られた一種のインシュレーターです。
SAEC製で上部:円錐部分と下部:円柱部分で構成されていて、間にゴムシートが挟んであるものです。

コーリアンとは、デュポン社の人工大理石のことです。つまり、そもそもは建材系。
ところで・・・韓国人(Korean)とは無関係です(^_^;)。

メーカーの能書・・・
デュポン™ コーリアン®の成分は、天然の鉱物質が主体です。その自然の素材を、樹脂のなかでも特にすぐれたMMA樹脂注(メチルメタクリレート)で化学的に融合させたのがデュポン™ コーリアン®(メタクリル人工大理石)です。木、石、金属など天然の素材には素晴らしい持ち味がありますが、使用する際に問題となるさまざまなデメリットがあるのも事実。そんな欠点を化学の英知で解消したのがデュポン™ コーリアン®なのです。柔らかさ、あたたかさ、弾力を感じさせるのは、デュポン™ コーリアン®が限りなく自然の素材に近いからです。
※ デュポン™ コーリアン®は米国デュポン社の登録商標です。

このインシュレーターは妙な響きを付加することなく、ニュートラルでクリアなサウンドを得られます。恐らく、内部部品等が振動によって発生するマイクロフォニック・ノイズを効果的に吸収しているのだと思います。他の素材(金属・木材等)では得られないパフォーマンス~ちょっと、魔法の様な足です。

コーリアンは、他にもオーディオ・ボード等に加工されています。シャーシーに使用しているメーカーもありましたね。音質改善アイテムとして、これはお薦めです。

ブルックナー・交響曲第8番


ギュンター・ヴァント指揮/ミュンヘン・フィル(Profil PH06008)

表現がところどころヴァントで、チェリビダッケの影が濃いような・・・。体調の影響なのか、オケに任せた部分が多かったのかも・・・。ベルリン・フィル(SARDANA SACD-100/1・1998年ライブ録音)との演奏の方が、ずっとヴァントの良さが出ている気がします。

チェリビダッケ指揮/ミュンヘン・フィル(METEOR MCD-036~037)と聴き比べてみると、面白いですよ(^^♪。

Jacintha &quot;HERE&#39;S TO BEN&quot;


おっと!のっけから、夜のジャズ・クラブにワープするCD。

しかし、歌が上手すぎ~久々に凄いなーと思った・・・しみじみと良いのです。
これは、是非、お聴き頂きたく存じます(^^)v。

録音も良いですが、少々、付加されたエコーに不自然さが・・・。

音楽は素晴らしい!

優れた音楽は、人の心を豊かにしてくれます。
ジャンルを問わず。

人の考え方や生き方まで、変える力があると思います。
心の病気の治療にも、音楽は使われていますね。

・(バッハの音楽は)天地創造の直前に行われた神自身との対話のようだ。(ゲーテ)

・死とは、モーツァルトが聴けなくなることである。(アルバート・アインシュタイン)

・何よりもすばらしいのは、音楽が伝えることのできる感情の種類は無限だということである。言葉で表現できない深い感情までも、音楽は明確に示してくれる。(レナード・バーンスタイン)

・残念なことに、音楽からくみとりうる力に匹敵するものは文学にはなにもありません。(ロマン・ロラン)

昔、お世話になった、とある病院の院長が「人生とは魂の高揚だ」と仰っていました。抽象的な表現ですが、最近、なるほどと思う様になりました。

音楽=魂の高揚

ターンテーブル・シートについて


アナログディスク・プレーヤーのターンテーブル・シート。

オーディオ・テクニカのすり鉢型金属製のもの、同社のバキューム型のもの、SAECのサファイア・コーティングした金属製のもの、近所のガラス屋さんに作って貰ったガラス製のもの・・・以前はデンオンのDP-3000を使っていた(今は納戸に引退中)のですが、兎に角、色々と試しました。

スタビライザーの種類によっても音質は大きく変わります。オーディオ・クラフトのドリルチャック式のもの、オーディオ・テクニカのステンレス製のもの、トーレンスの9つの円柱を寄せた型のもの、等々。これらをシートとの組合せで詰めていくのは大変でした。

しかし、レコードに重しを載せれば、レコードそのものにストレスが掛かることになり、それが音になって出てきます。いい方向に作用することもあるのですが、必ずしもそうではないのです。いいはずだ・・・と思って聴いていて、暫くすると何かおかしいと思うようになるのです。

スタビライザーはごく偶に、トーン・コントロール代わりに使う感じになりました。

今、使用中のプレーヤーはトーレンスのTD-126Ⅲですが、オリジナルのシートは外して、ウィルソン・ベネッシュのカーボン繊維シートを載せています。このカーボン繊維シートは、メーカーから部品として取り寄せたもので(確か3千円くらいで安価でした)、普通に製品では売っていませんでした。帯域バランスが低音から高音までフラットで、非常に反応のいい音がします。

昔、某オーディオ誌のレポートでウィルソン・ベネッシュのプレーヤーの評価が高かったので、そのシートに興味が湧き注文した訳です。これは、大当りでした!しかし・・・今、知ったのですが、何と、このウィルソン・ベネッシュ、アナログ・プレーヤー製造から撤退してしまったのですね(T_T)。残念!

プロフィール

Kapell

Author:Kapell
音楽は心のオアシス
オーディオは音楽の為に

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ